銅像めぐり ~1~
レオポルド2世 LeopoldⅡ
(1839~1909、在位1865~1909)
車の窓から、あるいは、散歩の途中で、さまざまな銅像に出会います。ブリュッセル市内にある銅像から、ベルギーの歴史をひもといてみましょう。

右は、ベルギー2代目の国王、レオポルド2世です。「虚栄心が強く、どん欲で野心家」と評されています。父だった初代国王、レオポルド1世が各地で植民地獲得をもくろんでは失敗していたのを見ていた彼は、すでに皇太子のころから植民地獲得の野望を見せ、王位に就くと、中国、エチオピア、フィリピンなどに進出します。が、ことごとく失敗。しかし、アフリカ横断でコンゴ盆地を“発見した”アメリカの探検家と組み、コンゴ(現、コンゴ民主共和国)を狙います。
彼は「奴隷貿易の廃止」や「学問研究」という大義名分を掲げてコンゴに進出し、1882年にはベルギー単独で「国際コンゴ協会」を設立して探検隊を派遣します。多数の現地の土侯と条約を結び、中央アフリカの事実上の支配者となります。
コンゴをめぐる仏、独、英などの利害が表面化し始めると、国際会議の場で、商業の門戸開放などを条件に、コンゴはベルギーの一部でなく、「レオポルド個人を主権とする独立主権国家」と認められます。つまり、国王個人の“私有地”になったのです。
1885年から1908年までのコンゴでの彼の統治は冷酷でした。反乱者の鎮圧はもちろん、ゴムの生産では、ノルマを達成できない労働者の手足を切り落とすといった過酷な労働を強い、この間、コンゴの人口は2000万人から1200万人にまで減ったといいます。これが国際社会の厳しい批判を招き、1908年、コンゴは国王の手を離れ、ベルギーの植民地となりました。
ブリュッセルの北、王族の住むラーケン宮の温室のほとんどは、彼が在位中に整備されました。ヤシやゴムのある「コンゴの温室」と名づけられた建物もあり、植民地支配時代をほうふつさせます。
かの国王は、今、地下鉄Trone駅近く、Bd.du Regent に面した所で、威風堂々、市中を見下ろしています。

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