ブリュッセルの重要な観光ポイントのひとつである「サン・ミッシェル大聖堂」は、国王の戴冠式も行われた由緒ある教会です。聖堂の外、正面右手奥に、ひっそりと立っているのが、枢機卿、メルシエの像です。
　彼は23歳で司祭になります。1882年、31歳の時に、ローマ教皇から、「科学情報に触れ、トマス・アクィナス（イタリアの神学者、ドミニコ会修道士）の学説を時代に沿うもの、より生き生きとしたものにしてほしい」という依頼を受けます。

　同年、彼はルーヴァン大学に初の哲学講座を開いて教授として教鞭を取り、1889年には大学内にトマス哲学の高等研究所を開設し、所長も務めます。
トマス学説はアリストテレスの哲学をキリスト教的に発展させたもので、“信仰と理性の調和”を主眼においた哲学ですが、彼自身、近代科学と宗教の融和を願っていました。1907年、枢機卿となった彼は、高等教育、技術教育の発展に力をそそぎます。

　しかし、彼の功績はこうした学問的なことにとどまりません。
彼は、後に有名になる司教教書を出しています。司教教書は、信者に向けて公式に発表される書簡ですが、1914年のクリスマスに出されたものは、ベルギー国民にとって、特に心を打つものでした。当時、ベルギーは第1次大戦下、ほぼ全域をドイツ軍に占領されていました。メルシエの書簡は、こう呼びかけます。「この支配は、正統なものではない。自らの魂をよりどころにし、この権力に対し、これを認め、敬愛し、従属してはならない。ベルギーにおける正当な権威とは、我々の国王であり、政府であり、国民の代表者たちである。これらに対してのみ、我々は心を向け、従うのだ・・・・・・」。
戦中、何通もの書簡が出されますが、どれも国民の愛国心と協調、忍耐を呼びかけたものでした。情熱にあふれた書簡は、広く国民に支持され、レジスタンス運動の支えとなりました。

　多くの聖職者の中で、特に彼がベルギー史に名をとどめているのは、カトリックの信者のみならず、英国国教会（ローマ教皇の支配から１６世紀に独立）との対話を実現するなど、旧弊にとらわれない、民主的で先進的な、愛国心あふれる聖職者であったからといえるでしょう。